女優の自分を受け入れてくれない男性との結婚は無理??
女優の大竹しのぶさんと俳優の明石家さんまさんの結婚も当時話題になりました。
離婚してから20年、離婚の原因についてのエピソードを2人が語ってくれました。
離婚の原因とは何が原因だったのでしょうか。
明石家さんまさんのプロフィール
コメディアンタレントとして活躍する明石家さんまさん。
主にタレント、司会者として活躍し、「お笑いBIG3」の一人として知られています。
落語家笑福亭松之助の弟子となったが、1970年後半に大阪のテレビ番組で人気となり、成功を収めています。
お笑い界ではゴルフの実力者として知られており、コンペでは70台という好スコアを記録したこともあるそうです。
元々はお笑い芸人ではなく、落語家を目指していたと言います。
1982年に「花王名人大賞新人賞」や「日本放送演芸大賞ホープ賞」など、多くの賞を受賞している。
1999年には、日本で最もテレビ露出の多いスター」ということでギネスブックに認定されています。
現在でも、いろいろな番組に出ており、お笑いBIG3としての存在感は健在です。
大竹しのぶさんのプロフィール
1973年にドラマのヒロインの公募に合格し、ドラマ「僕は女学生」で女優デビューを果たします。
1975年NHKの朝ドラ「水色の時」でヒロインに抜擢されブレイクし、同じ年に「青春の門」で舞台初主演を務めます。
その後も演技は女優として多くのドラマや映画に出演しています。
「男女7人夏物語」や「徳川家康」、「元禄繚乱」、「それでも、生きてゆく」など、数多くの代表作に出演されています。
映画でも数多く出演しており、「青春の門シリーズ」や「事件」、「鉄道員」など、数多くの代表作があります。
1978年の映画「事件」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞します。
1973年に「ミカン」で歌手デビューを果たし、2016年にはNHK紅白歌合戦に初出場をしています。
明石家さんま&大竹しのぶさん夫婦の結婚時期・生活・子供は?
2人は1987年の「男女7日と秋物語」で共演したことをきっかけに交際をスタートさせます。
同年、大竹さんは、最初の夫であるドラマディレクターの服部晴治氏と死別をしています。
それから1年後の1988年映画「いこかもどろか」で再び共演します。
これをきっかけに交際がスタートし、結婚しました。
結婚して1年後に長女のIMALUさんが誕生します。
『いまる』は父親であるさんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと、一方大竹は「いまをいきる(今を生きる)」から命名したのが、名前の由来だと言われています。
子供にも恵まれ、順風満帆に結婚生活を送っているように見えましたが、1992年に離婚します。
何が原因だったかが、離婚して20年後に明かされたようです。
明石家さんま&大竹しのぶさん夫婦の離婚原因は?
家では女優でいないでほしいと思うさんまさんに対して、大竹さんは女優を捨てきれないと思っていたそうです。
「主婦って大変な仕事なんだけど女優に比べると喜びが少なかった。
次第に『お芝居がしたい』とむずむずしてきた」と大竹さんは言います。
夫婦関係を修復するために2人で見に行った映画が『ローズ家の戦争』という映画で、離婚で殺し合いをする内容のストーリーだったことから、2人は大爆笑をしたらしいです。
こっれをきっかけに2人は離婚を決意したと言います。
明石家さんま&大竹しのぶさん夫婦の結婚・離婚情報まとめ。
お互いに離婚後も関係は良好な様子。
しかし、結婚している時はお互いに不満がたまり、我慢が大きかったと暴露しています。
大竹さんは、今回の結婚のことについて女優の自分を受け入れてくれない男性との結婚は無理といいます。
しかし、さんまさんとの結婚については、年を取った今なら、当時よりも結婚生活が続いたかもしれないと言います。